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鉄分の墨汁に化ける白タブレット [愚]

Tuesday ,31st July 2012  gremz 自然破壊 森林破壊 大気汚染 オゾン層破壊

映画やドラマで何も身に着けず泳ぐ場面を見ると気ままさに憧れる。何ひとつ縛るもののない自由な様に強く惹かれ私もそうしてみたくなるが咎められず騒がれず裸で泳ぐことのできる場所を知らない。ひとの来ない海を川をプールを風呂を生け簀を知らない。裸で泳ぐことが叶わないのは途方も無い大きな痛手の気がして窮屈で息苦しく居心地悪いことのように思う。


保育園児のときの水着は赤と黄の二色を大胆に配し胴回りに金色帯状の細布をあしらう攻めた感のある造りだった。それは写真に残っているのではなく、ただ記憶として頭の中にある。余程気に入っていたのか奇抜な見た目のためか未だに憶えている。生まれて初めての水着だったろうか。

保育園には水着代わりに下着を着ける決まりがあるらしかったが水着があるのに下着でプールに入るとはおかしな話だと父は言い、私は私で水着を着るものと勝手に決めていた。構わないとも駄目だとも言われぬまま我を通した私は白シャツ白パンツの群れにひとりサイケデリクな水着で紛れ込み紛れようもなく浮いた。

小学校へ入学すると揃いの紺色の水着を着た。水着の奇抜さで浮きはしなかったが身体は浮いた。手足を動かすと途端に沈むので泳ぐことはできなかったけれど逆上がりや縄跳びのように苦心するところは何もなく、うつ伏せに全身の力を抜いて水面に浮かぶのは気持ちよかった。泳ぐ練習をしなさい水死体の真似はやめなさいと言われても、ぷかぷか浮くのをやめなかった。


小学四年生になると上下ふたつに分かれた水着を買ってもらった。商店街の食中毒を出して潰れかけているケーキ屋の隣のやはり潰れかけて見えるうす暗く野暮ったく黴臭い学校指定の洋品店で脱ぎ着のしやすいスクール水着のつもりで選んだのだけれど腹やへその出る水着は学校指定の水着でもスクール水着でもないらしく悶着の種となり教師の中にはそんなものを買うとはと呆れるひともいて薄々カッコいい水着と得意な気持ちでいた私はがっかりした。けれど別の水着を買えとまでは言われず、転校後に買ったのだけれど転校生だから仕方ないと諦めてくれて、指定外の水着でプールの授業を受けられることになった。

受けられることにはなったけれど調子に乗った感のある水着選びをしても泳げないのは相変わらずで手足を自在に動かし泳いだつもりが溺れていると救助されてみたり随分遠くまでと期待して振り返るとスタート地点から少しも進んでいなかったり頭の中で描いた図と現実に大きな隔たりがあった。泳ぎの真似ごとをするたび耳の中へ入った水がちゃぷちゃぷ音を立てるのや二つ口の水飲みのような仕組みの先へ開いた両目を晒すのは苦手だった。そうした苦手を乗り越えぬまま結膜炎に罹りプールの授業は見学することになった。異端の水着は箪笥にしまってしまった。

翌年の春、私は親戚の家に預けられ、転校した。箪笥の水着は父母のいなくなった家から知らぬ間に親戚の家へ移動していて預けられた親戚の家から通う小学校でプールの授業が始まると親戚のおばさんから異端の水着が手渡された。新たな転校先でも上下に分かれた水着を着るのは私だけだったけれど学校も同級生も何も言わなかった。預けられた先のおじさんに一度、水着の上の部分は必要か訊かれただけだ。私の平坦な胸をちらりと見たあと洗濯された私の水着が物干しで風に吹かれるのを眺めながら。

親戚の家で暮らす小学五年生の夏休みは日々学校のプールへ通い、休みが終わる頃には二十五メートル泳げるようになった。潜っても十メートル泳ぐことができた。ひと夏に成し遂げた偉業に有頂天でそのうちきっと好きなだけどこまでも泳げるようになる。そう思った。父に報告しなくては。そうも思った。度を越した運動の不得手さで常々父には心配ばかりさせており泳げるようになったと知れば喜ぶだろうし安心するに違いないと思った。

翌年、母と暮らすこととなり三度転校した先はプールのない小学校で小学六年生の夏は水泳の授業がなく親戚の家から持ってきた上下ふたつに分かれた水着の出番はなかった。私を二十五メートル泳がせた水着は引っ越し先の押し入れに永眠した。母と暮らすと決まったとき父は私が親戚の家へ預けられた頃には他界していたと教えられ安心させたり褒められたりするのは叶わぬことと知った。

中学生になると肺の病気に罹り泳ぐことも水着を着ることもなかった。水着で周りから浮くことも実際に水へ浮かぶこともなくなりそのあと泳いだのは成人してからである。
泳がずにいて困りはしなかったが土踏まずにナイフを刺すような痛みが走り立っていられなくなったり歩き難くなることが度々あった。あまりにも激しく痛んで自分の身に何が起こっているのか不安になったがナイフを刺すような痛みと言ったら人魚姫に決まっていて、なるほど、ひと夏で随分泳げるようになったのもそのためかと納得した。
自分を人魚と信じているうちは土踏まずの痛みは消えることがなく自分が人魚であるというような考えがすっかり消えて痛みは去った。これもまた成人してからのことである。


土踏まずの激痛がどんなものだったか保育園児のときの水着ほどはっきりとは思い出せないけれど何も身に着けずに泳ぐことへの強い強い憧れは人魚だった名残りかも知れない。
2014-07-15 17:05 更新 715日遅れ

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